お墓の承継者がいらっしゃらなくなった場合に「私たちがお墓を永久に管理・供養します」と、寺院や霊園業者がお約束することです。
現代は核家族化や少子化が進み、先祖代々のお墓を守り続けることが難しくなってきたという声をきく機会が増えました。また、ご家族用のお墓をお近くにご用意されていても、子どもが就職や結婚で遠方に引越しをされる場合もございます。将来のお墓のため、子どもたちに負担をかけないために、永代供養墓をお探しの方が年々増えてきております。
しかし実際は「33回忌まで」「50回忌まで」などと供養の期間が定められており、その後は合祀されてしまうケースがございます。他にも、「寺院が廃寺になった」「霊園が倒産した」という理由で墓地そのものが消滅する可能性も皆無ではございませんので、永代供養のお墓選びは慎重にしていただく必要がございます。
稲毛御廟の運営は、500年の法統を受け継ぐ無量寿山光明寺の別院・千葉光明寺が直接運営・管理を担っております。
当寺は『こころの安心』を人々に届けるため、全国各地で親鸞聖人の教えを広めるなど『霊園事業』『布教活動』『社会貢献』を3つの柱として社会に貢献しております。
稲毛御廟の納骨堂は信頼・安心してお任せいただける真の意味で「永代供養」を実現できる納骨堂ではないでしょうか。
また、稲毛御廟の厨子には使用の期限はございません。お子様だけではなく、ご親族の方でも使用権の継承が可能であり、年間管理費を納めていただくことで永代に亘ってご利用いただけるシステムです。
万が一お墓の使用権を継ぐ方がいなくなってしまったときは、真骨(喉仏)を桐の箱にお納めし、千葉光明寺ご本尊下の須弥壇にご納骨いたします。本堂では毎朝・毎夕に僧侶が読経を捧げています。
その他のご遺骨は、京都・宇治にある天が瀬メモリアル公園の合葬墓「やすらぎの塔」にお納めさせていただきます。お花とお線香をお供えし、永代供養の法要が執り行っております。
光明寺の起源は、1200年前の「延喜式神名帳」に記載されている意富布良(大洞)神社まで遡ります。
意富布良神社は神仏一体の神宮司となった後、室町時代に蓮如上人によって神社と寺院に分離され、寺院が光明寺の祖となりました。
その後、岐阜に本院が、京都に瑠璃光院が設けられました。現在は東京・千葉・埼玉・宇治・新宿の5か所に別院をつくり、親鸞聖人が説いた教えを全国に広げる活動を展開しています。
さらに、世界中に残されている貴重な仏教文化遺跡を保護して後世に伝えていくため、中国北京政府文物局敦煌研究院と協力して「敦煌莫高窟壁画修理事業」を進めています。また、大乗仏教を中国に伝えた鳩摩羅什三蔵法師の功績を称え、没後1600年となる2013年にウイグル自治区に銅像を建てるなど、仏教に携わる者だからこそ可能な社会貢献活動にも力を入れています。
※諸物価の値上がりに応じ、改定させていただくことがあります。